「バスで行く福島スタディツアー」を開催
2024.12.20
パルシステム埼玉は、11月30日(土)、東日本大震災で地震・津波・原子力災害を受けた福島県双葉郡富岡町のスタディツアーを開催しました。
私たちはまず、いわき市にある原子力災害考証館を参観しました。
今回もツアーガイドを務めていただいた里見喜生さんは、いわき湯本温泉で300年以上続いている旅館「古滝屋」の16代目館主であり、東日本大震災と東京電力福島第一原子力発電所事故後、Fスタディツアーを創設、被災地を巡りながら当時のでき事を語り継ぐ活動を続けています。
また、里見さんと有志で「古滝屋」の一室に手作りの原子力災害考証館を設立運営されています。里見さんは、「13年間、様々な立場の人とここで話をしてきました。福島は食料・エネルギー生産の場、首都圏は消費の場、地方と中央の関係が敵対ではなくファミリーのようになればよいと考えています」とおっしゃっていました。
考証館には、大熊町で津波に巻き込まれ行方不明になっていた木村汐凪(きむらゆうな)さん当時7歳が被災時に身に着けていたマフラーと遺骨の写真が展示されています。原発事故により十分な捜索ができない中、父の紀夫さんが独自に捜索した結果2016年に発見され、考証館に寄贈されたものです。
汐凪さんは祖父の運転する車で避難中に津波に遭難しました。3月12日の早朝、全町避難となりましたが、それまで捜索活動をしていた消防団員は付近で声を聞いたと証言しています。「津波に遭難した後も汐凪さんは生きていて、原発事故により捜索中止になったことで救助できなかったのであれば、汐凪さんの死は天災ではなく人災ではなかったか」と里見さんは話されました。
里見さんに促され、参加者一人ひとりが汐凪さんの遺品に触れ、ご冥福をお祈りするとともに震災・原子力災害の理不尽さを改めて強く感じました。
福島県産の食材をふんだんに使った昼食をいただいた後、ツアー参加者20名は里見さんのガイドで富岡町に向けて移動しました。移動の車中で里見さんは発災当時のようすを語ってくださいました。
震災前、「古滝屋」は140名のスタッフを擁し団体客を多く受け入れていました。震災発生日は金曜日であったこともあり予約で満室、50名の宿泊客がいらしたそうです。電気・ガス・水道がすべて止まり、エレベーターのシャフトも折れてしまいました。当時いわき市には3万人が避難しており、里見さんは炊き出しや子どものケアのボランティアに従事しました。その後復興支援などのボランティアを古滝屋で受け入れることを決断し、2012年7月に素泊まり旅館として再スタートしました。
現在は通常の旅館として営業していますが、震災前の2010年比50%に客数はとどまり、スタッフも40名になってしまったとのことです。
バスは富岡町の夜の森地区に到着しました。
2011年3月11日当時、富岡町では震度6強の地震を観測し、最大21.1メートルの津波被災により24名の方が亡くなりました。翌12日の福島第一原子力発電所の水素爆発事故により、全町民が全国各地への避難を余儀なくされ、震災(原発事故)関連死者数は456名にものぼっています。
夜の森地区は、2023年4月1日に避難指示が解除され居住が可能になりました。
まずは夜ノ森駅(JR常磐線)を訪れました。2020年3月に営業を再開しています。震災前は一日350人程度が利用していましたが、里見さんいわく、今は誰も利用しない日も多いのではないかとのことでした。駅前もほとんどが更地になっており、居住不明の住宅と営業していない商店がぽつんぽつんと残っている状態でした。
夜の森地区は震災前1697世帯3886人が住んでいた地区です。震災前は比較的安価で広めの敷地なため若いファミリーに人気の住宅街だったそうです。避難指示が解除された直後の2023年4月にも訪れましたが、そのときもほとんど人は住んでおらず、空き家と更地の住宅街でした。今回は少ないながらも生活しているようすをうかがえるお宅が見受けられました。
富岡町全体では、震災前の人口は約12,000人で現在は約2,100人だそうです。その内700人がもともとの住民、700人が復興にかかわる建設従事者、700人が新規移入者とのことです。また、富岡町は町全体が一斉に避難解除とならなかったため、居住者の多いエリアと少ないエリアがモザイク状になっているとのことでした。
発災後避難したときのまま人の住んでいない状態のアパートは、室内の残置物がすべて撤去されていました。新たに立て替えるか、改めて賃貸として入居者を募集するのだろうと里見さんはおっしゃっていました。
続いて、富岡漁港を訪れ、廃炉措置中の福島第二原子力発電所を遠くに見ました。
2021年6月から廃炉措置作業に着手していますが、4基の原子炉すべての廃止措置が完了するまでに44年もの年月を見込んでいます。
最後に東日本大震災慰霊碑に参拝し、お亡くなりになられた方々のご冥福をお祈りしました。
パルシステム埼玉は、東日本大震災と原子力発電所事故の記憶を風化させないよう、これからも被災地スタディツアーを開催していきます。
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