「バスで行く福島スタディツアー」を開催

 パルシステム埼玉は、4月22日(土)に東日本大震災で地震・津波・原子力災害を受けた福島県双葉郡富岡町のスタディツアーを開催しました。

 はじめに、いわき湯本温泉で300年以上続いている旅館「古滝屋」の16代目館主、里見喜生さんが設立運営している原子力災害考証館で震災・原発事故の当時の様子、復興の状況、原子力災害訴訟について説明を受けました。
 里見さんは、東日本大震災と東京電力福島第一原子力発電所事故後、Fスタディツアー(※)を創設、被災地を巡りながら当時の出来事を語り継ぐ活動を続けています。

                                      

 考証館には、大熊町で津波に巻き込まれ行方不明になっていた木村汐凪(きむらゆうな)さん当時7歳が被災時に身に着けていたマフラー等の着衣が展示されています。原発事故により十分な捜索ができない中、父の紀夫さんが独自に捜索した結果2016年に発見され、考証館に寄贈されたものです。
 里見さんに促され、参加者一人ひとりが汐凪さんの遺品に触れ、ご冥福をお祈りするとともに震災・原子力災害の理不尽さを改めて強く感じました。

                                           

 福島県産の食材をふんだんに使った昼食をいただいた後、ツアー参加者29名は里見さんのガイドで富岡町を訪れました。
 2011年3月11日当時、富岡町では震度6強の地震を観測し、最大21.1メートルの津波被災により24名の方が亡くなりました。翌12日の福島第一原子力発電所の水素爆発事故により、全町民が全国各地への避難を余儀なくされ、震災(原発事故)関連死者数は454名にものぼっています。

                                              

 バス車中から大規模太陽光発電を視察しました。震災前は田んぼだったところに、たくさんの黒いソーラーパネルが敷き詰められていました。大規模太陽光発電は地域住民主体のものもあるが、首都圏の企業が利益を得るために設置されたものもあり、原子力発電の構図と変わらないと解説いただきました。

                                              

 バスは富岡町の夜の森地区に到着しました。夜の森地区は、2023年4月1日に避難指示が解除され居住が可能になりました。
 震災前は1697世帯3886人が住んでいた地区ですが、避難指示が解除された後もほとんど人は住んでおらず、空き家と更地の住宅街でした。12年経った今も、発災後避難したときのままのアパートの室内を窓から見ることができました。住んでいた方も、避難するときにはここまで長く故郷を離れるとは思いもしなかったことでしょう。

                                         

 また、窓ガラスが割れている住宅が少なからずありました。全住民避難後に空巣被害にあったとのことです。
住民の帰還が進まない理由としては、放射線量が下がったとはいえ未だ0.15から0.3μSv/hの空間線量が測定されていること、避難先での生活が定着したことなどの他に、原発事故被害の上に空巣被害にもあったためもう戻りたくないという方もいらっしゃるとのことでした。

                                            

 続いて、富岡漁港に訪れました。
 富岡漁港は、発災から8年経った2019年7月に復旧工事を終えて再開されました。福島県内にある10ヶ所の漁港の内、最後に再開されました。震災前はカレイやヒラメなどの味のよい「常盤もの」と呼ばれる魚の漁の拠点でした。その富岡漁港からは、廃炉措置中の福島第二原子力発電所を遠くに見ることができます。里見さんは、福島の原子力発電所で発電された電力はすべて首都圏で消費されていた、地方の住民と首都圏の住民との意識の格差に気付いてほしいと語られました。

                                               

 最後に東日本大震災慰霊碑を参拝しました。児童公園内にある小さな慰霊碑です。参加者全員で黙とうを捧げました。

                                           

 パルシステム埼玉は、東日本大震災と原子力発電所事故の記憶を風化させないよう、これからも被災地スタディツアーを開催していきます。

                                                

 (※) Fスタディツアー Facebook

 原子力災害考証館ホームページ

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