「飯舘村の母ちゃんたち 土とともに」上映会を開催

 4月20日(火)ぱる★てらすで、「飯舘村の母ちゃんたち 土とともに」上映会を開催しました。

 

 

 飯舘村は日本で一番美しい村と言われていました。自然豊かな環境の中で、土に根差した作物を作り地域の繋がりの中で食と文化を大切にしてきた生活が、原発事故で一変してしまいます。この映画は、全村避難を強いられた飯舘村の母ちゃん、榮子さんと芳子さんが仮設住宅でお互いに励まし合い笑いあって暮らす生活を、女性監督の眼で見つめたドキュメンタリーです。

 

 

 「笑ってねえどやってらんねえ」ある日突然好きだった村を追われ、家族とも別れて不安と絶望の中に置かれても笑いあっている二人。年長の榮子さんはいつ帰れるとも分からないことを知り、前を向いて生きるため仮設住宅でも野菜作りを続けることを決めました。

 農作業をしながら「百姓は芸術家」と土と太陽と自分の技術に感謝します。一時帰宅した折には、「家に帰るとお詫びすることばかり」と仏壇や庭の花、周囲の木々に話しかける。「空もきれい。タラの芽、ツバキもちゃんと育っている。だけど家の主は帰ってこない」とつぶやき、自分のことを「今は難民と思う」と言います。環境基準を緩和して年間100ミリシーベルトまでを居住可能地域とした環境省や村長の態度に、被災者を「人間としてみているのか、村長は村民の立場で発言してほしい」と怒りつつも、「人は循環型の人生を歩むのが本分」と珠玉のような言葉が出てきます。これらの言葉がすべてを表しています。

 

 

 二人の笑顔の裏に隠れた悲しみと怒りが胸に迫りました。榮子さんは飯舘の家で孫の手を引いて暮らす幸せな老後を夢見ていたのに、それも打ち砕かれたのです。めげずに前を向く二人は、芳子さんの病気も励まし合って乗り越えました。飯舘の農と食の伝統を未来に繋ごうと気候の似た小海町と交流を始め、名物の凍み餅の作り方を教えます。

 福島原発事故から10年がたち、事故はすでに収束したとの空気がつくられ、被災者はもういないかのように忘れ去られようとしています。最近はことさら原発再稼働の声が大きくなってきました。

 

 

 しかしひとたび事故を起こせば、家族や地域共同体、食や文化を奪われる大勢の被災者を生みだし、放射能は何万年にもわたり残留して自然や人の健康を脅かします。未来を託すことは決してできません。

 原子力のない社会をみんなで目指していきましょう。
 なお、同時に行ないましたフードドライブにも多くの食品を寄贈いただきました。ありがとうございました。

 

 

 次回開催予定 6月7日(月)14時~16時 【会場】ぱる★てらす 「コロナ禍が影響を与えた日本の貧困問題」

TOP