「評伝 孫基禎~スポーツは国境を越える~」を開催
11月11日(月)ぱる★てらすで、明治大学名誉教授の寺島善一先生をお招きし、「評伝 孫基禎」-スポーツは国境を越える-と題した講演会を開催しました。
東京五輪を前に、日韓関係はかつてないほど冷え切っています。競技施設の整備と建設のため巨額な公費が使われ、スポンサーの都合が優先される商業主義と国威発揚のためのメダル獲得競争が過熱しています。
IOCの「五輪憲章」では、オリンピズムの目的は人間の尊厳の保持に重きを置く平和な社会の推進を目指すために、人類の調和のとれた発展にスポーツを役立てること。友情、連帯、フェアプレーの精神と相互理解を謳っています。
残念なことに開催都市東京やJOCは、この憲章の理念を国民に周知徹底をしていない。この点を指摘をしても当事者たちの反応は鈍いといいます。スポーツと人権に関する認識の浅さのために、スポーツ界のスキャンダルやヘイトスピーチが蔓延し、企業利益追求の手段になっていると先生は指摘します。
日本スポーツ学会運営委員等を歴任し前回の東京五輪では陸上競技の補助員をした先生は、五輪精神を思い起こしてほしいとの思いを強くして、1936年のベルリン五輪のマラソン金メダルを獲得した孫基禎選手の生涯を多くの人に知ってほしいと評伝を著したとのことです。
孫基禎(1912~2002)選手は、日本による支配下の朝鮮で貧しい家庭に生まれ、スケートをしたくても靴がないため走ることに専念し頭角を現しました。表彰式では日の丸を月桂樹で隠し君が代にうつむいていたといいます。獲得した金メダルは日本のものとカウントされているそうです。ランナーとして最も残念なのは明治大学に在学しながら出場を禁じられ箱根駅伝を走れなかったこと、最悪の痛恨事は学徒兵募集の演説を強要されたことを挙げていました。
貧困や官憲の監視、朝鮮民族差別に屈することなく多くの競技会に出場し、国籍を問わず多くの人たちと親交を結びました。選手引退後は、マラソンのコーチや選手の発掘に力を入れると共に、スポーツの平和利用を進め、1988年のソウル五輪や2002年ワールドカップサッカー日韓共同開催にも尽力しました。孫基禎さんは日韓・東アジアのスポーツ交流による相互理解が進むことや、いつか五輪がアフリカで開催されることを願っていました。国立墓地の墓石には「体育人孫基禎」と刻まれているそうです。
先の平昌冬季五輪では、スピードスケートの小平奈緒選手と韓国の李相花選手のお互いをたたえる姿が多くの人の感動を呼びました。来年に迫った東京五輪ですが、自国選手のメダル獲得数や施設に「日本はすごい!」と一喜一憂するのではなく、アスリートとしての鍛錬や努力、選手同士や観客達の交流などにも注目したいと思います。また、世界各地の国々を知り、様々な文化に触れることによって交流のきっかけになればいいと思います。
パソコンの不具合で先生が作成したレジメ、1964年東京五輪閉会式の写真をスクリーンで見ることができなかったのは、大変残念でした。