「平和に暮らすとは?幸せについて考えよう」を開催

ピース・インターテーマグループ

 7月24日(水)ぱる★てらすで、原爆の語り部服部道子さんをお迎えして、平和について戦争について学ぶ親子企画を開催しました。
 
 服部さんのお話をお聞きする前に、紙芝居の上演と絵本の読み聞かせを行いました。

紙芝居「ちっちゃいこえ」  作:アーサー・ビナード 絵:丸木俊・位里
 語り手は黒猫です。1945年の8月6日まで広島にあった人々の日常、そして原爆投下後人間を含めた生き物たちの「命」に何が起こったかを語ります。人間も猫もハトも他の生き物たち全て細胞からできていますが、原爆の放射能は日々細胞を傷つけ蝕み「命」を奪うのです。語り手の「命」も。

絵本「わたしのせいじゃない」作:レイフ クリスチャンソン イラスト:ディック ステンベリ 訳:二文字 理明(にもんじ まさあき)
 身近におこったいじめ。でも自分のせいじゃないと思い続けていることが原爆や戦争につながっていく、と写真で最後に示しています。

紙芝居「ひーらいた、ひーらいた」(童心社) 作・絵:まついのりこ 
 人に幸せを配りたいと空を飛びたいピッポ。みんなで応援しました。

服部道子さんのお話
 (16歳で軍医部の看護婦として働いている時に被爆した服部さんは今年90歳になられました。)
 「当時は軍国主義の時代。『戦争反対』などと言ったらたちまち捕まえられる。その人の家族、子供も「非国民」として地域で、学校でいじめられる。何も言えない時代でした。原爆は4000度から5000度の熱を出します。太陽は6000度といいますから想像できない熱さでしょう。風圧も最速ピッチャーの3倍位の速さ。私は原爆の白い閃光に気絶しました。気がついてから看護にあたりましたが、薬も何もない。水もない。「助けて!」「助けて!」と言われても「痛いよう!」「痛いよう!」と言われても何もできない。苦しんで死んでいくだけ。死んだ人はそのままなので腐る。ハエ、ウジがわく。恐ろしく臭い。皆さんたち今はやけどもしたことがないでしょう。痛さ想像できないよね。こんな体験を私はあなた達にさせたくないのです」
 「敗戦後家族5人で広島を後にしましたが8か月後には父が原爆症で亡くなりました。私も被爆が原因の「ぶらぶら病」などで苦しみました。紙芝居にあったように私の「細胞」が放射能にやられたのです。とても苦労しましたが幸運にも生き延びました。亡くなった人には申し訳ないけど。今、アメリカと戦争したことさえ知らない若い人がいますが、民主主義で、自由な時代です。国民をだまして戦争を続行した時代とは違います。親御さんには『悪いことは悪い』という教育を子供さんにしてもらいたい、と思っています。放射能は永年性です。子どもにはとても危険です。核兵器は悪ですよ。子どもさんたち、今日お話ししたこと、おうちでお父さんなんかと話し合っていただけたら、嬉しいです。お友達とも」

 現在療養中の 服部さんには病院から先生の許可を得てぱる★てらすに来てお話ししていただきました。ありがとうございました。子どもたちはとても熱心に聞いていました。これからいろいろな機会に今日のことを思い出して「平和」について考えを深めていただけたら、と思います。

 


被爆体験を語る服部道子さん

子どもたちも熱心に聞き入っています

 次回開催予定:9月17日(火)  会場:ぱる★てらす  タイトル:三橋先生の東アジア近現代史講座「韓国の土となった日本人・浅川巧」

 

                                              

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